南沙諸島をめぐる石油資源争奪と対テロ戦争
米メジャー、中国抱き込みでつば迫り合い

Cuộc tranh giành tài nguyên dầu mỏ chung quanh quần đảo Trường Sa và Chiến tranh chống khủng bố

số tháng 9/2006 世界」9月号に掲載の原文。

(岩波書店 tạp chí THẾ GIỚI của NXB Iwanami



 掲載された記事は若干の短縮と組み換えが行われています)

▼ 米企業、比をダミーに南沙資源に接近

2002年4月、フィリピン・エネルギー省(比DOE)で前例のない高官人事があった。比の名門校、国立フィリピン大学工学部卒業後、渡米して、米石油メ ジャーのコノコ・フィリプスで石油・天然ガス探査専門家として約30年勤続した比人男性が比DOE筆頭次官として「里帰り」した。次官ポストとはいえ手取 り額はせいぜい比通貨で3万ペソ程度(7万円相当)の薄給待遇。超高給で優遇されていた米大手石油企業幹部が収入数十分の一となる比政府職員への転職を甘 んじて引き受けたこと自体、前代未聞の出来事と言えた。

この男性エデュアルト・マナラク氏は1995年に米国本社から中国現地法人のフィリプス石油中国公司(北京)に同公司副社長として派遣され、7年間勤務し た。この間、中国3大石油企業のひとつ、国営中国海洋石油(CNOOC)と共同探査事業に取り組んだ。99年には渤海湾で中国の海底油田としては最大の 「蓬莱19−3」を掘り当てその商業化に成功した。外国人技術者として成し遂げた比類のないこの功績は、彼と中国政界、業界との間の 関係を一気に親密なものとした。

同氏が比DOE次官に転身したのは02年初めこの「蓬莱19−3」海底油田の商業稼動が本格化して間もなくのことだった。比官庁の薄 給はこの国を世界でも指折りの「汚職天国」にしている。だが、自主財源のある政府系企業のトップとなれば報酬は次官職の20−30倍 に跳ね上がる。04年9月1日、アロヨ比大統領は国賓として中国に招かれた。その前日、大統領は比DOE次官マナラク氏を政府系企業では最高給が保障され るフィリピン石油公社(PNOC)社長に正式に任命して、北京に同行させた。

そして世界の石油業界関係者が熱い視線を注ぐ、南シナ海・南沙諸島周辺海域での中国とフィリピンによる初の2国間共同資源探査事業が両国首脳間で正式合意 をみた。PNOCとCNOOCが事業主体となり、胡錦涛国家主席、アロヨ大統領の立会いの下、両国の国営企業は3ヵ年にわたる事業契約に調印し、05年9 月から11月まで3カ国共同で第1回探査が実施された。PNOC社長に就任したマナラク氏の太い中国との絆が共同探査事業を実現したのは明白。その背後に は米石油メジャーの野望と中国のしたたかな打算が渦巻いていた。

1992年の在比米軍基地撤収に伴う、米軍のフィリピンからの完全撤退から15年が経過した。この間、旧宗主国・米国は86年の独裁者マルコス追放に伴い ピークに達した反米運動高揚を痛苦な教訓として、「親米の砦」としてのフィリピンの再建に取り組み、米軍は比での揺るぎない軍事プレゼンスを再構築しつつ ある。2001年の米同時多発テロ(9・11)発生後、米石油メジャーの標的である南沙海域に近接する比南部ミンダナオ地方南西部に米軍は対テロ訓練を名 目に5千規模の米兵を常駐させ、念願の比回帰を果たした。今や米官民はフィリピンをダミーとして巧みに操りつつ、虎視眈々と南沙利権掌握を狙っている。


▼ 推定埋蔵量2千億バレルの衝撃

1990年代に入ると、中国政府が南沙諸島の石油の推定埋蔵量を最大でサウジアラビア並みの2千億バレルと推測していることが明るみに出る。サウジ、イラ ン、イラクなど中東地域を中心に描かれてきたこれまでの世界の石油資源地図を塗り替えてしまう「大事件」として関係者を興奮させた。

比政府関係者によると、マナラク氏は南沙諸島海域での中国とフィリピンによる合同石油探査事業の実現と米石油メジャーが中比両国の合同探査に円滑に関与できるための調整役として米政府と石油企業に白羽の矢を立てられ比DOEに送り込まれた。

次官に就任するやいなや、南沙海域に隣接ないし近接するフィリピン南西部海域を中心とする石油・天然ガス探査事業に初めて公開入札制度を導入した。この措置は世界に向けて南沙開発のプロパガンダ役を果たした。

比DOEによると、パラワン島、スルー諸島周辺の大陸棚は南沙諸島方面の海底にまで伸びており、南沙海域に近接する比領海内海底には最大100億バレルの 石油埋蔵が見込まれている。03年8月に実施された第1回公開入札実施前にほぼ1年掛けて、比DOE、PNOC代表団が米、英、豪を柱に米欧の主要都市を 回り、「比領海での探査事業は将来の南沙資源開発の橋頭堡となることをキャンペーンした」(PNOC幹部)。PR資金の出所は米官民だったはずである。

こんな中、フィリピン中部のセブ島周辺海域で探査活動を行っている日本の政府系企業担当者は「(南沙諸島に近接した)比領海の海底資源開発は世界的にみて も一見非常に魅力がある。でも深く観察してみると面白みがなくなり、応札は取りやめた」と意味深長な発言をした。つまり、「あそこは米、英、豪のアングロ サクソン系企業が中国企業と掛け引きするための海域で、日本は手を出せない」との見方を示唆した。

実は、公開入札キャンペーンは、アングロサクソン系の米、英、豪3カ国を標的に、そこに本社を置く有力石油企業と最終目標である南沙権益の獲得、そのため の「前哨戦」としての比領海での探査に中国企業を抱き込むための協議だった。さらに海域がアルカイダと結ぶ東南アジア地域の広域テロ組織、ジェマ・イスラ ヤ(JI)やアブサヤフなどの活動中枢に位置おり、操業の安全確保のため米、豪、英軍首脳と対策を協議することが主目的であったとみられる。

▼ 中国の弱点と強硬姿勢の転換

歴史的な経緯をみても、実効支配の現状をみても、南沙諸島及び周辺海域に
おける中国のプレゼンス、存在感には他国を圧倒するものがある。中国が紀元前から同諸島を交易従事者の寄港地、中継点として利用していたことは文献上でも証明されている。

しかし、清が鎖国政策を取り、南洋交易の減少で居留民も引き上げてしまった。このことが、第2次大戦終了後に、にわかに領有権問題を浮上させた。さっそく中国とベトナムとの小競り合いが頻発。70年代末の中越紛争以降、南沙をめぐる両国の対立が激化した。

さらに、決定的に大きな事件は1992年のフィリピンからの米軍完全撤収だった。これが生んだ「軍事空白」を好機とした中国は海軍の活動をにわかに活発化 させ、島々、岩礁に建造物、軍事施設を次々と築き、強固な実効支配体制を構築していった。92年に中国政府は「領海法」を公布し、南シナ海のほぼ全域の領 有を主張。軍に「領海侵犯者を実力で排除する権限」を付与すると同時に、「外国艦船が通過する際には許可が必要」と一方的に宣言した。 

だが一方、著しい経済発展を遂げる中国は93年には石油輸出国から輸入国へと転じた。焦る中国政府はエネルギー確保に向けての触手を遠いアフリカ、中南米 にまで伸ばしていった。こんな中、近海で世界最大規模の埋蔵可能性が期待される南沙のエネルギー資源獲得への望みはさらに膨らんだ。

だが、90年代に入ると、中国は次第に石油安定確保のためには、石油メジャーの協力が必要との認識を深めて行った。特に、メジャーの海底資源の探査、解析技術の先進性は中国にとって次第に垂涎の的となってきたのである。

未公表ながら、中国当局は90年代前半、海底油田・ガス田探査専門の中国海洋石油(CNOOC)が自前の中国製探査船を使って独自に極秘探査を行った。その結果、2千億バレル埋蔵推定が公とされたようだ。

「米欧メジャーが有する探査能力、データ解析力で探査を再実施すれば、実際の埋蔵量は中国単独での結果を大きく上回る可能性がある。中国当局はメジャーの 協力でさらに精密な探査を行い、採算の取れる開発を行いたいと切望するようになった」(PNOC幹部ら)。メジャーが長年蓄積してきた海底資源探査の先端 技術が、南シナ海における中国の活動をそれまでの攻撃的な膨張主義から大きく転換させた。

日本の有力国立大学で地質学の博士号を取得、インドネシア・ジャカルタに本拠を置く東南アジア諸国連合(ASEAN)エネルギーセンターの所長を務めた比 人専門家は「確かに中国の探査技術は近年、急速にレベルを上げてきている。それでも中国当局は海底油田1本で数億ドルと巨額な採掘資金の必要な事業を実行 する場合、メジャーの協力なしには大幅な採算割れとなる」と説明した。

▼ まず渤海湾、東シナ海で共同探査

海底に眠る油田は世界の石油埋蔵量の約4分の1を占めるといわれる。中国の海底油田開発は93年に石油輸入国に転じて以来、急ピッチで展開した。中国領海 内での海底油田開発事業は90年代半ばから北東部沖の遼東半島と山東半島とに囲まれた渤海湾を皮切りに、日本がその排他的経済水域(EEZ)の中間線を越 えると抗議し対立するようになる東シナ海での開発へと拡大した。中国は探査、採掘、商業生産に当たり、ことごとく米欧企業と連携した。

石油メジャーとして中国へ一番乗りしたのは、マナラク氏が現地法人副社長を務めた米コノコ・フィリップスであった。その後、メジャーとしては英蘭系ロイヤ ル・ダッチ・シェル、米系ユノカルの2社が東シナ海でCNOOCと共同で探査を開始した。商業生産開始後の権益は中国側が51%を確保した。

こんな中、04年9月、3ヵ月前から日本が中国に対し「両国の排他的経済水域の境界線を超える」として事業停止を求め、両国間の大きな政治問題となってい た東シナ海の春暁ガス田開発事業に参加していたシェルとユノカルが撤退を突然宣言、理由は「商業上の問題」と説明しただけだった。撤退宣言は日中間の政治 紛争に巻き込まれるのを避けたためとの情報もある。

翌05年にユノカルはブッシュ米政権に最も近い米メジャーであるシェブロンに吸収合併される。そのシェブロンは東シナ海事業と同様、比石油公社 (PNOC)をコーディネーターとして、シェルと共同で02年末から商業稼動した南沙諸島に近接するマランパヤ海域での比初の天然ガス事業に参入してい る。

一方、比領海内での探査、採掘事業に参入した中国企業は中国3大国営石油企業のひとつCNOOCだった。まず、CNOOCはマランパヤ・ガス田の直下に埋蔵している原油の開発事業に関心を示した。

東シナ海の日中中間線海域でのCNOOCとの共同事業から撤退したばかりの米欧2社はCNOOCの参入を徹底妨害。南沙開発の「前哨戦」と位置付けられた比領海での探査事業では米、中両国の企業間に大きな障壁が生じた。


▼ ユノカル買収劇

CNOOCと米欧2社との東シナ海での共同事業契約の破棄は、翌05年には米国の政界、業界、世論を大きく揺るがしたCNOOCのユノカル買収騒動に連動 した。この買収劇は、只中にあったシェブロンとユノカルとの合併交渉に横やりを入れる形で発生したため、米国内で大きな政治的波紋を呼んだ。

ブッシュ政権は「国家安全保障上の観点からも好ましくない」との懸念を表明。結局、米連邦議会をはじめ「中国企業のユノカル買収を米国全体への敵対的動き」として捉え、神経を逆撫でされた米国民の反対ムードの異様な盛り上りで、中国側は買収を断念した。

米メジャーでは傍流に属したユノカルは、主流のメジャーが中東を向いてビジネスを拡大したのに対して、アジア鉱区の開発を重視し、カスピ海沿岸から中央ア ジアに至るまでその多くの鉱区が中国と隣接していた。中国が国策としてユノカルの吸収合併へと動いた主因はここにあるとみられる。

これに加え、CNOOCがユノカル買収に動いたのは、米メジャーの先端技術を獲得したかったとの側面を見逃すわけにはいかない。確かに、中国はパソコン大 手レノボのIBMパソコン部門買収をはじめ、家電メーカーや自動車企業による仏、英名門企業の買収を果たしている。しかし、石油産業は米国益の象徴であ り、他産業とは決定的に次元を異にした。

一方、この騒動を通じて米メジャー各社は中国の技術上の弱みが極めて深刻であることを知り、南沙開発という巨大ターゲットに向けて中国企業が必ず対米協調 へと動くシグナルと受け取ったようだ。この相互認識を基礎とする米中協調体制は06年には早くもその構築に向け動き出す。

▼メジャー間の確執

さらに注目すべきは、フィリプスとユノカルなど米メジャー間の確執である。フィリプスは中国で大成功を収め、しかも02年には探査、採掘では世界トップ級 の技術を有するコノコと合併してコノコ・フィリプスと改名し、エクソン・モービル、シェブロンに次ぐ、米石油メジャー3位の座にのし上った。

中国にとってさらに魅力あるパートナーとして成長したコノコ・フィリプスに対し、念願のユノカルを吸収合併して多大なアジア権益を手に入れたブッシュ政権 寵愛の主流メジャー、シェブロンはユノカルに代わって政治力を駆使、コノコ・フィリプス独占体制の解体を画策したという。政治圧力でコノコ・フィリプスは シェブロンとの「手打ち」を余儀なくされた。

▼ 米政権介入とマナラク氏解任

 東シナ海での天然ガス探査事業をめぐるシェル、シェブロン2社の中国との共同事業からの撤退、次いで米国世論を沸騰させた中国国営海洋石油 (CNOOC)の米メジャー、ユノカル(現シェブロン)買収騒動、さらに舞台をフィリピンに移してのシェル、シェブロンによるCNOOC締め出し━。これ だけ悪材料が出揃えば、南沙開発の「前哨戦」である比領海域での探査、採掘事業における米、中のスムーズな連携は非常に困難とみられた。

 豪石油業界筋によると、ユノカルを手中に収めたシェブロンはトップメジャーのエクソン・モービルを巻き込み、猛烈な反攻に出た。ターゲットは、最大の障 壁となっている「コノコ・フィリプス—PNOC(マナラク社長)−CNOOC」で固めた排他的企業連合の解体、 再編であり、シェブロンは一体のブッシュ政権にこの問題でアロヨ比政権に圧力を掛けるよう働きかけた。

まず「人身御供」となったのがマナラクPNOC社長であった。アロヨ比大統領は06年10月、出身母体のコノコ・フィリプスに肩入れしすぎた同社長を「お役御免」とばかりに事実上解任した。

▼朝令暮改の大統領令

一方、比初の天然ガス商業化事業となった比最西端パラワン島北西沖のマランパヤ油田開発で企業連合を形成していたシェル、シェブロン、PNOCの3社は天然ガス採掘契約時に、石油開発についても3社共同で実施すると合意していた。

ユノカル騒動で敵となったCNOOCの油田開発参入の動きを知った米欧2社は「石油メジャーの採掘基準に達しない少量の1億バレル規模の原油採掘のリスクを考慮すると石油開発事業着手には同意できない」と主張して、石油開発に関してはPNOCとの契約を破棄した。

マランパヤ油田開発事業担当の比DOE高官は05年11月半ば、「精密探査を含め開発費用は10億ドル程度。1億バレル弱の原油の市場価値は最低でも20 億ドル。十分に採算は取れる。入札応募期限は06年6月と定めた」と述べ、シェル、シェブロンに代わる投資企業を公開入札で募ると断言した。

ところが、アロヨ大統領はこの次官発言からわずか半月後の同年11月29日付で「マランパヤ油田開発参入企業選定で公開入札方式にするか随意契約方式する かはPNOC社長の裁量に委ねる」との大統領令(EO473)を発布した。これは比政府内での意思不一致と事態紛糾を十分にうかがわせた。

このEOに基づき、マナラクPNOC社長はマレーシアを本拠とするミトラ・エナジーと随意契約の形でマランパヤ油田開発事業をPNOCと共同で行うことを 決めた。ミトラ社との随意契約は、「06年6月を入札の最終期限とする」との比DOE方針を無視し反故にしたため、関係機関高官らはこれに猛反発した。

ミトラはまったくの無名企業であった。在マニラの欧州系石油企業幹部は同社について「(マナラク氏の出身母体)コノコ・フィリプスOBを中心人物にアメラ ダヘス出身者らが05年に設立した探査専門の戦略企業。最終目標を南沙の石油資源開発に定めている」と述べた。この説明によると、ミトラは中国政府中枢に 最も深く食い込んでいるコノコ・フィリプスのダミー会社となる。

マナラク社長の存在なくしてマランパヤ油田開発事業をめぐるミトラとPNOCとの契約はあり得なかった。しかも同社長は06年1月に北京を訪問、マランパ ヤ海域南西に隣接する海底石油探査鉱区で中国海洋石油(CNOOC)とミトラとの合弁で、しかも随意契約方式での石油探査事業を実施することで合意した。 初の比進出を果たしたCNOOCはすでに同年8月から探査活動を始めている。だがなぜか、この米、中2社の比での合弁事業については契約も探査着手も公表 されず、機密扱いされたままだ。

比大統領府と比政府関係機関の意向はシュブロンと同じく「コノコ・フィリプス—PNOC—CNOOC」連合の解 体であった。この意を汲むかのように、アロヨ比大統領は「朝令暮改そのもの」とばかりに06年6月17日付で「マランパヤ石油開発事業は公開入札で実施す る」との大統領令(EO556)を発布、PNOCとミトラの合弁事業契約を強引に解消した。

在比石油業界の有力者は「南沙開発という大事業でのフィリプス独走にストップを掛けるべく、エクソン、シェブロンは中、比両国の政官界、政府関係企業上層 部に金をばら撒きミトラ排除を図り、ブッシュ政権は比政府にマナラク社長解任を迫った。当初はフィリプスの意向に沿うかのようにアロヨ大統領はEO473 を出したが、米政府と反フィッリプス連合による圧力で180度転換、EO556を発布した」と打ち明けた。

▼ 米企業「呉越同舟」で中国と協調へ

 登記上の本社をカリブ海のタックスヘーブンであるバーミューダ諸島に置き、05年に設立されたミトラ・エナジーは、シェブロン、エクソンの巻き返しに妥協した。その証となるのが、比領海内でのミトラ、シェブロン、エクソンの3社による石油の合同探査事業計画である。

 元々、マラナク氏の比DOE次官就任に伴い導入された比領海内での石油探査事業の入札にいち早く応じて、04年に落札したのはシェブロンに翌年吸収合併 された米ユノカル、豪系BHBビリトン、アメラダへスの企業連合であった。米政府に疎んじられていることを危惧したコノコ・フィリプスは反フィリプス連合 との和解の方策として上記企業連合をミトラ、エクソン・モービル、シェブロンの連合へと転換することを提案したもようだ。

 探査対象海底はマレーシア・サバ州沖のマレーシアとの境界海域の鉱区「サンダカン海盆」で、原油の推定埋蔵量は5億バレルと比では最大級。業界筋による と、コノコ・フィリップスと【米メジャー中堅の】アメラダヘスとの合弁企業であるミトラはヘスの探査権を継承した。07年6月現在、同海盆の探査は06年 末に着手したミトラの単独事業となっている。

だが、比大統領府や比DOE関係者らによると、ミトラとシンガポールに探査専門会社を設けた世界最大の非鉄金属資源採掘企業である豪BHPビリトンは最大 メジャー、エクソン・モービルと業務提携している。このため、エクソンはビリトンから探査権の譲渡を受け、「サンダカン海盆」の探査への参加を比DOE申 請中。さらに吸収したユノカルの権益を受け継いだシェブロンは申請の時期を慎重に検討しているという。

このようにして、コノコ・フィリプス(ミトラ)、シェブロン、エクソン・モービルの米3大石油メジャーが合同して南沙本格開発への最前線となるサンダカン 海盆鉱区の探査事業が間もなく着手される可能性が大きい。いずれにせよ、南沙開発に向けた米石油メジャーの合従連衡は形成の緒に就いたと言える。

シェブロン(ユノカル)の中国との和解はミトラを介してなされたといえる。上述のようにミトラは中国海洋石油(CNOOC)とマランパヤ海域南西に隣接し た鉱区で06年8月に合同探査に着手しており、公にはされていないが、CNOOCの幹部、技術者らがミトラに出向しているもよう。また、ミトラとの連携を 通じてコノコ・フィリプスと手を結ぼうとしているシェブロンにとってCNOOCは南沙本格開発への最重要パートナーへと変容したのである。


▼過信と誤算


マナラク社長への反発を象徴的に示す例が第1回目の中比南沙海域共同探査終了直後、05年11月末にマニラで開催された第8回ASCOPE(アセアン石油 協議会)会議前に起きた「事件」であった。ASEAN加盟国の主要石油公社で組織されるASCOPEは1970年代から4年に1度、各国持ち回りで開催さ れていた。05年会議では比石油公社(PNOC)にホスト役が回ってきた。

世界約40カ国の石油関連企業や政府関係機関、諸団体から約1千人が参加する中、ASCOPE発足以来、初めて中国のビッグ3と称される国営石油関連企業 3社、すなわち中国石油天然ガス集団公司(CNPC)中国石油化工集団公司(SINOPEC)と中国海洋石油(CNOOC)が代表者を派遣してきた。

特筆すべきは、議長国フィリピンが初参加の中国3大企業のひとつCNOOC会長と二人三脚関係にある米コノコ・フィリプスのアジア地域統括会社トップの2人を会議冒頭で基調講演するプログラムを組んだことである。これを演出したのはマナラク社長以外考えられない。

ところが、開催直前になってコノコ・フィリプス代表がキーノートスピーチから外された。スピーチ役交代は米官民の意向に比政府が従ったと見るのが妥当である。この「事件」は翌06年10月の同社長解任への伏線となった。

▼ 比での対テロ戦と石油探査活動

 01年9月の米中枢同時テロ(9・11)発生に伴い、ブッシュ政権は国際テロ組織アルカイダを率いるウサマビンラディンをテロ首謀者と直ちに断定。翌 10月にはビンラディン拘束、アルカイダとこれをかくまうタリバン政権壊滅を名目にアフガニスタン攻撃を開始した。これを長期的な対テロ戦争の端緒と位置 付けた米政府はアフガン攻撃が一段落した同年11月末ごろからしきりにフィリピンの名を挙げ始めた。

 米国防総省は公式には「対テロ戦第2弾の候補地選定作業」と発表しており、ビンラディンが1996年のアフガン移動まで米捜査機関の追跡を逃れるため潜伏していたソマリア、スーダンなどとともにフィリピン南部ミンダナオ地方が候補地として上がった。

 米政府は9・11発生後、比ミンダナオ地方南西部を拠点とし、アルカイダと結ぶイスラム過激派、アブサヤフを海外テロ組織に指定して掃討の対象とした。 実は、アフガンに次ぎフィリピンで対テロ戦争を継続することは既定方針だった。理由はいうまでもなく、1991年9月に比上院が決定した在比米軍基地撤収 と米軍完全撤退の屈辱を晴らし、悲願となっていた米軍のフィリピン回帰の大義名分が立ったからである。

 米軍は1999年に比上院で批准された「訪問米軍地位協定(VFA)」に依拠し、比ミンダナオ地方西部のバシラン島で米人宣教師夫妻らを人質にしている アブサヤフ掃討と人質救出を名目に米比両軍で半年間も同島での異例の長期軍事演習を実施、演習は名目で実戦参加したのは確実。

 さて、米政府がフィリピン南部に兵力展開した動機には周辺海域で実施される石油探査事業の安全確保があった。ミンダナオ地方西南部での米将兵駐留開始の 2年後から、マレーシアとの国境線に近いスルー海やその西北方向の南沙諸島海域に隣接する比最西端パラワン諸島周辺で探査事業が順次着手された。

02年1−6月に実施された米比合同軍事演習後、4千人以上の米将兵が対テロ訓練名目でミンダナオ地方南西部に残留した。これは92 年の米軍完全撤収以来、10年ぶりの米軍の比再常駐実現を意味した。07年5月現在、駐留兵数は1万人を超えたもようで、スルー海での資源探査・採掘の操 業に目を光らせる最前線となっている。

 この石油・天然ガス探査事業は米石油メジャーを中核に、欧州、豪州、そして中国の石油企業の参入を前提にしていた。皮肉にも、最終ターゲットの南沙諸島 南部海域の南シナ海、フィリピンとマレーシア国境周辺海域はアルカイダ系テロ組織の活動領域に含まれる。つまり、フィリピン南部での対テロ戦争第2弾実施 は同時に、米軍を後ろ盾にした米官民の石油資源争奪戦への本格参入への道を切り拓いたのである。

 一方、東チモール周辺海域から南シナ海にかけてのオーストラリアのエネルギー資源権益確保への執着には並々ならぬものがある。05年10月、豪比国防相 会議出席のため訪比したヒル豪国防相=当時=はマニラ到着後直ちにミンダナオ地方西部サンボアンガ市にある比国軍南部司令本部に直行した。その後、クルス 比国防長官と会談、07年から豪軍がサンボアンガ市南方のスルー海での米比合同軍事演習へ参加することが決まった。 
 
 南シナ海・スプラトリー諸島周辺海域で米、比、豪の3カ国の合同軍事演習に名を借りた共同軍事作戦が展開され始めた。ヒルが国防相会談を後回しにして比 南西端のサンボアンガ市へ直行した理由は、インドネシア・スラウェシ海と隣接するスルー海域の治安状況を現場で聴取するためだった。

また、07年1月にはブッシュ大統領の腹心とされ中東問題プロパガンダ専門家のカレン・ヒューズ米国務次官、ファーゴ米太平洋軍総司令官=当時=をはじめ 米政府、米軍トップ級人物の南沙諸島に近接する比南部ミンダナオ地方スルー諸島視察が相次いだ。南沙開発を視野に入れたテロ対策視察であった。 
 
 ミンダナオ地方を中心とした米軍のフィリピン再常駐には米政府のさまざまな思惑が込められている。主たる意図として1.オーストラリア最北部の北部準州 からイスラム大国インドネシアの中央部に風穴を開けた形のカトリック国東チモールを抜け、同じくカトリック国フィリピン、さらに北方の台湾、日本、韓国で 形成する非イスラム圏を「南北の盾」とみなして、北アフリカ、中東、東南アジア、朝鮮半島へと広がる「不安定の弧」への対抗軸とする試み 2.ブッシュ政 権発足とともにラムズフェルト前米国防長官が提唱して実施されている地球規模での米軍再配置の一環としての措置━などが挙げられる。

 比領海内でのエネルギー探査事業には米企業と並び豪企業が数多く参加している。しかし、米、豪、比軍が日本の自衛隊を実質的に巻き込み、4カ国がこの海 域で行っている合同軍事活動は日本にとって最大のシーレーンであるマラッカ海峡から南シナ海、東シナ海に至る米国の広域的な安全保障戦略と不可分な関係に ある。

▼ 中国は米豪軍の南沙監視歓迎

9・11テロ発生以降、南沙諸島の領有権を主張する4カ国(ブルネイ、台湾を除く)は「南シナ海を紛争から平和の海へ」とのキャンペーンを声高に張り始め た。もっとも、テロ発生前から新建造物の設置禁止などを盛り込んだ行動規範策定の動きがあり、紛争回避へ向けた関係国の合意形成の努力は進みつつあった。 テロ発生後、「平和の海へ」は「資源の共同開発へ」と具体化して行く。ポスト紛争の時代の旗振り役はフィリピンが担った。

9・11発生を受けてブッシュ米政権は中国政府に対しても、テロとの戦いへの協力を要請。中国側はこれにすんなりと賛同した。それは中国自体が最西端の新 彊ウイグル自治区(東トルキスタン)にイスラム教徒反政府勢力の分離・独立運動を抱え、これに苦慮していたためである。テロ発生前は中国政府が頭を抱え込 むほど事態は急迫していたという。

9・11テロ発生後、10を超える独立組織の一部は米国務省にアルカイダと結ぶ海外テロ組織に指定され、02年には国連もこれに続いた。テロ組織指定され たグループは08年の北京オリンピック、2年後の上海万博の開催妨害を表明。これに同調する他のグループも中国政府に対し武装闘争開始を宣言した。このた めか、9・11後のアフガン攻撃開始に伴い、米国が旧ソ連諸国のウズベキスタン、キルギスに米軍基地を設けたものの隣国の中国は反発の気配をみせなかっ た。

 ウズベキスタンの米軍基地は05年撤収した。対米冷戦を口にし始めたプーチン露政権の影響は否定できない。だが、中国政府には独立組織の結束による「東 トルキスタン共和国亡命政府の樹立」(04年)による分離・独立運動の激化が影を落とし、南シナ海の南沙開発に向けて、米、豪両軍とテロ対策で手を携える メリットが非常に大きくなった。中国は今や米、英、豪と並んでアルカイダグループの標的なのである。

中国にとって、ウイグルを含む中央アジア地域、東南アジア地域・南シナ海へとエネルギーを中心に各種プロジェクトを展開する上での治安確保で米国と協調す ることは目下のところ極めて重要な事柄である。また、巨大な石油権益を確保するためのパートナーとして米欧メジャーと良好な関係が維持できて、しかもイス ラム対策を確固としたものにできれば「両手に花」である。アフガンから開始された対テロ戦争はまさしくエネルギー資源確保と一体となって進められている。


▼ 米、中企業、極秘で調査着手か

マナラク氏解任直前の06年8月下旬から9月中旬までの約3週間、米3大石油メジャーの連携組織と変容しつつあるミトラは中国国営海洋石油 (CNCOOC)と比最西端のパラワン島北西部の1万平方キロ弱の鉱区で共同探査活動を実施した。契約では06年から7年間にわたり探査が実施される。

 しかし、この探査事業は非常にミステリアスである。まず、上記のように「この米、中2社の比での合弁事業については契約も探査着手もメディアに発表され ず、機密扱いされたまま」である。さらに、中比共同探査では中国が探査船を調達したとされたが、外国船なのか、中国船なのかは明らかにされなかった。とこ ろが、この南沙海域隣接の比領海内での探査事業に07年3月、米エクソン・モービルは最新鋭の自社3次元探査船を導入した。

 05年にベトナムが中比両国に加わり、第1回共同探査が実施された際、比エネルギー省の事業担当最高責任者は「あくまでスタディにすぎない。この共同事 業が終了したからといって、探査事業契約書にはその結果を基に採掘事業を実施するとの規定は盛り込まれていない」と繰り返し強調した。その口調からは「こ の事業は形式的な儀式にすぎない」とのニュアンスが読み取れた。

 米3大石油メジャーは、中国とフィリピンの共同調査を隠れ蓑としつつ、米中4社の合意で導入した最新鋭探査船を密かに比領海から隣接の南沙諸島海域へと 進入させ、最も精密なデータの収集に着手しているとの疑いが濃厚である。フィリピンでの米中共同探査が極秘裏に進められている理由もそこにあるのではない か。中、米両国ともに最終目標とする南沙開発の大前提となる海底石油資源の精密探査は、両国企業による円満な協力によってのみ達成可能と確信しているから だ。     

■ 南沙紛争の経緯 

南シナ海のほぼ中央部に点在し、居住不能な約100の極めて小さな島や岩礁などから構成される南沙諸島(スプラトリー諸島)の周辺海域・海底はかねてから 漁業資源や石油・天然ガスの宝庫とされてきた。1960年代後半に国連アジア極東委員会(ECAFE)の調査で、海底油田の埋蔵可能性が報告されると、中 国、ベトナム、マレーシア、フィリピン、ブルネイ、台湾の6カ国・地域が領有権を本格的に主張し始めた。

中国の南シナ海政策はベトナム戦争末期の73年に米軍が撤退宣言するとともに劇的に変化した。翌74年には南ベトナムが支配していた西沙諸島(パラセル諸島)に侵攻、同諸島の主島・永興島に軍事基地を建設し、南シナ海への覇権拡大の端緒を拓いた。

このため、中国に対する反発も大きく、88年3月には南沙諸島沖で中国、ベトナム両国海軍が交戦、95年にはマレーシア海軍が同諸島付近で操業する中国漁 船に発砲する事件が起きている。ブッシュ米政権は05年8月、米第7艦隊を南シナ海に結集させて大演習を実施。また、中国と米メジャーの協調進展により南 沙権益から完全に排除されるとみた台湾当局は07年2月、南沙諸島海域で海軍の実戦型演習を行った。

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